言いようのない違和感

投稿者: | 2015年8月2日

安保法案が色々なところで議論を巻き起こしているが、反対する人々の思考法に違和感を感じているので、書き留めておく。

平和がいい、平和が一番
実際、私もそう思う。

だが、平和を実現するためにもコストが掛かる。
なぜなら、平和を乱す人は世界に確実に存在するから。

それに目を逸らして平和を実現できているのは、我々が目をそらすことができるためのコストを誰かが支払っているからだと思う。

「私は戦わない」と言っている人たちは、、どのように平和を維持できると思っているのだろうか?
私だって戦いたくはない
が、愛する人に危害が加えられそうになれば、戦わない訳にはいかない。

「危害が加えられそうになれば」なのだ。
「危害が加えられたら」では遅いのだ。

我々(日本)は未熟だったのだろう。
未熟なものは成熟した人に守ってもらわなければならないし、今はアメリカの核の傘に守ってもらっている。

日常生活でも、子供には「暴力を決してしてはならない」とよびかけるが、大人の世界では警察権力が人々への(いろいろな意味での)暴力と戦っている.
警察という、ある意味「武装勢力」に一般の人々が守ってもらっているのが現実だ。
そのため、夜中でも道を歩けるし、お店も24時間営業できる。

だが、願望と事実を混同している人が多いのに驚く。
こういう人が多いのは、やはり日本人は科学的に物事を考える力が弱いのだろう。
センチメンタルで人は生きられないのだ。

「平和になれ」と言って「平和」なるわけではない。
「海よ割れろ」と言って、海が割れたモーゼとは違う。
(ちなみに、これは神話なので、決して事実ではない)

あと、TVのニュースを見ていると、多くのお年寄りに方が、「次世代のために」戦争法案なんか反対だと叫ぶ。
私にとって見れば、次世代のことを考えるならば、そんなことよりも、現行の過剰な年金や医療補助制度などの優遇措置を自ら返上してほしい。
よっぽど次世代のためになると思う。

以上、とりとめもないことを書いたが、現在の所感。

P.S
私としては、「解釈改憲」での安保法案成立は反対。まず、憲法を改正すべき。

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